虎戦士に愛された大豊さん急死(SANSPO.COM)
中日、阪神で活躍した大豊泰昭さんが18日午後10時41分、名古屋市内の病院で、急性骨髄性白血病のため死去した。
51歳だった。一本足打法から量産するアーチでファンを魅了したスラッガーが早すぎる最終打席を迎えた。
97年オフのトレード。矢野燿大(当時輝弘)とともに阪神入り。交換要員は久慈照嘉、関川浩一。
低迷時の阪神はスラッガーの加入に沸いた。Vの使者ともてはやされ、大豊さん自身も大活躍を約束した。
だが、阪神時代の3年間はグラウンド上よりも、別の話題で取材されることが。野村克也当時監督との確執。
一本足打法が「理にかなっていない」と酷評された。職場放棄をしたこともあった。
99年2月28日、西武とのオープン戦では大注目されていた怪物ルーキー、松坂大輔(現ソフトバンク)から一発。プロの貫禄を見せつけた。
同年すり足にフォーム改造するなどして26試合連続安打(当時阪神記録)をマークするなど、ある程度は成績を残したものの、指揮官との溝は埋まることなく、チームは在籍3年間すべて最下位に低迷。
さらには毎年のように球団と契約でもめて退団、2001年古巣中日に復帰した。
阪神暗黒時代にプレーした気迫あふれる姿を思い出します・・・
親ばかは、ほぼ同年代・・・
早すぎる
ご冥福をお祈りします